もし自分が亡くなったときに、何か残せるものはあるのか

思考・考察
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kazu(@kazkazstyle)です。

もし、自分が亡くなったら、どうなるんだろう?

ふと、そんなことを考えることがあります。自分にも何か残せるものはあるのかな。いろいろと考えてしまうのです。
 

■生きていれば、その痕跡というものは残っている

 
子供のころに、テレビや映画の世界で活躍した俳優さんたちが亡くなったというニュースを知るたびに「死」というものを考えます。自分の年齢も40を過ぎているからでしょうか(笑)。平均寿命が80歳だとすると、半分をすぎていますからね。

オギャーと生まれた瞬間に、「死」に向かって生き続ける。

そんな言葉を、どこかで聞いたことがあります。

あまり良いイメージはしませんが、事実ですよね。事実なんだけど、日常の生活の中では、ほとんど意識していません。でも、誰も「死」を避けることはできません。
 
 
 
 
俳優の高倉健さんが亡くなったことを知ったとき、驚きましたし、残念な気持ちでいっぱいになりました。子供のころ、妹と一緒に南極物語の映画を観に行ったことを思い出しました。数々の映画に出演され、日本を代表する俳優さんだったことは、日本で生まれ育った人なら誰でも知っていますよね。
高倉健さんが残したものは、出演した作品や、後輩の俳優さんたちに引き継がれていくと思います。高倉健さんの映画人生そのものが、受け継がれていくわけですね。

それじゃあ、もし自分が亡くなったときに、何か残せるものはあるのか。

そんなことを考えていたら、考えが止まらなくなりました(笑)。
 
 
 
 
残せるものといっても、お金は持っていませんし(笑)、これといったものがあるわけではありません。

でも、写真や映像なら残せることに気づきました。

何も特別なものではなくても、何気ない普段の生活そのものなら残せます。

たとえば、今日の朝日の写真は、今日しか撮ることができませんし、どこかに出かけたとか、誰かと会ったとか。それらは、そのときにしかできないものばかりなのです。

このブログだって残すこともでます。(家族は、要らないって言うと思いますが 笑)

高倉健さんのような素晴らしい作品は残すことはできなくても、何気ない普段の生活なら、写真や映像を通して残すことはできるのです。

それを作品と呼べるかどうかは、今は考えなくてもいいのではと思っています。

まずは、写真や映像を残しておくことです。

スマホを使えば、簡単にできますよね。

何かを残すつもりはなくても、生きていれば、その痕跡というものは残るはずなのです。それをそのままにしておくのか、写真や映像を通して目に見える形にして残すのか。

みなさんなら、どちらを選びますか。
 

■「今日の教訓」

 
もし、自分が亡くなったら、この世に残る作品のようなものはあるかな。写真でもいいし、映像でもいい。何気ない普段の生活そのものが作品となることだってあると思うんだ。
 
 

 
credit: RaSeLaSeD – Il Pinguino via FindCC
 
 

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