負けるが勝ちという言葉から気づいたこと

思考・考察
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kazu(@kazkazstyle)です。

子供のころ、学校の先生に「負けるが勝ち」という言葉もあると聞いて、その言葉に納得することができなかったことがありました。
 

■挑戦できる権利を行使しているか

 
小学生のころ、球技大会というものがありました。

クラス別対抗のスポーツ大会といったほうが分かりやすいでしょうか。

サッカーや、バスケットボールなどをして勝敗を決めていました。

あるとき、自分がいたチームが負けて、次の試合ができなくなったとき、担当の先生が「残念だったね。負けるが勝ちということもあるんだよ」と話しかけてくれたとき、まだ幼かった私は、その言葉を受け入れることができませんでした。

負けは、負けだし、次のゲームには参加することができなし、良いことがなかったからです。

それに、負けたのに、何で勝つことになるんだ?

と考えても、小学生の私では答えを見つけることができずに悶々としていたことを覚えています。

球技大会ということを考えれば、勝ち続ければ優勝することができ、みんなから賞賛されます。

小学生の立場だったら、そっちのほうが、負けるよりも、はるかに望んでいることだったからです。
 
 
 
 
なぜ、担当の先生が「負けるが勝ち」という言葉を使ったのかは、今となっては分かりませんが、おそらく負けてみて分かることがあるんだということですね。

そして、負けてしまって肩を落としている自分たちを励ましたかったんだなと思います。

その時、負けるが勝ちという言葉があるなら、「勝つまでやる」という言葉もあってもいいのではと考えました。

負けて悔しいなら、もう一回頼んでやらせてもらう。

もちろん、球技大会のように、負けたらそこで終わりというルールがあるならしかたがありませんが、挑戦できる権利は誰もがもっていることだと思うのです。

勝つまでやるということは、「負けず嫌い」だと思う人もいるでしょう。

それこそ、その負けず嫌いの人は「挑戦できる権利を行使している」のです。

あなたも、挑戦できる権利を使ってみませんか。
 

■「今日の教訓」

 
負けるが勝ちという言葉もあるけど、「勝つまでやる」、そんな言葉もあってもいいよね。
 
 
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