自由なのに、自由ではない人たちがいる

決断
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kazu(@kazkazstyle)です。

「自由」と「拘束」。
この2つの言葉のどちらが好きかと質問があったら、「自由」という言葉を選ぶのではないでしょうか。
 

■自由だからこそ、自分で決断する必要がある

 
朝から晩まで、仕事をしていると、早く終わらないかな~、そんなことを考えますよね。

仕事が終われば、自由に何でも好きなことができるからでしょう。

ここで、不思議に思いませんか。

自由になれば、何でもできる

これって、本当なのでしょうか。
 
 
 
 
たしかに、仕事が終われば、その仕事からは解放され、自由になります。

自由ですから、好きなことをすればいいわけですが、ここで自由を満喫して楽しんでいる人と、不満や愚痴をこぼす人が現れます。

自由なのに、自由ではない人がいるのは、なぜでしょうか。

そもそも、自由だと感じるためには、自分で決断をする必要があるのです。

たとえば、仕事が終わったら、家族と食事に出かけると決断をしていれば、自由になったら、その行動を起こすことができます。

自由になったら、何もせずに部屋でゴロゴロすると決断していれば、堂々と部屋でゴロゴロするのもいいでしょう。
 
 
 
 
もし、何も決断をしていない、決断ができないと、どうなるでしょうか。

いきなり、自由な時間を与えられても、決断することができなければ、ただ時間だけがすぎていくことになり、何をしたらいいのかわからなくなって、結局は自由ではない状態になってしまいます。

ですから、自由があれば、何でもできるけれど、決断できなければ、その自由は、不自由なものになってしまうのです。
 

■「今日の教訓」

 
自由になれば、何でもできる。たしかに、そうかもしれない。でも、自由だからこそ、自分で決断する必要がある。決断できなければ、その自由は、不自由なものになってしまうよ。
 
 
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