「挑戦したことによる経験」と「傍観していたことによる経験」

決断
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kazu(@kazkazstyle)です。

やってみなければ、分からない。

たしかに、その通りですし、反論する必要もありませんよね。
 

■傍観者から、新たな挑戦者に早変わりしよう

 
やってみなければ、分からないと誰もが思っていることですが、なかなかやろうとしない人が多いのも事実ですね。

もし、みんながやっているなら、「やってみなければ、分からない」という言葉を、これほど言い続けることはないからです。

頭では理解しているつもりでも、実際に行動している人は少ないということです。

実際に行動している人を挑戦者とするならば、何もしない人は傍観者ということになり、ここで大きな差が生まれるのではないでしょうか。

誰もが、「やってみなければ、分からない」ことが理解できているとしても、そこには恐れや不安があってできないんですね。

挑戦者は恐れや不安があっても、実際に行動を起こすことで、挑戦したことによる経験を手に入れることができます。

何もしない傍観者は、挑戦者を見物しているだけですから、挑戦したことによる経験を手に入れることはできません。その代わりに、傍観していたことによる経験を手に入れるだけです。
 
 
 
 
大事なのは、

◦挑戦したことによる経験
◦傍観していたことによる経験

この2つの経験の差がどういうものなのかを考えてみること。

新しい刺激を得ることができるのは、間違いなく挑戦したことによる経験です。

新しい刺激を受けることで、人生は楽しいものになっていくことが想像できます。すべて、自分が望んでいる想像ではなかったとしても、そこは挑戦者ですから、何度も立ち上がって、新たな挑戦をしていくでしょう。

何もせずに傍観していた場合は、新しい刺激を受けることは少なくなります。これまでと同じ経験を積み重ねていくことにもなります。

同じ経験を積み重ねていくことが悪いわけではありませんが、同じことを繰り返したら、飽きてきて、つまらないと思ってしまうでしょう。

もし、「やってみなければ、分からない」という言葉を使いたいなら、その人は挑戦者であってほしいですね。

なぜなら、その経験をした者にしか見えない景色がありますから。

そして、挑戦者の人たちは、「経験をした者にしか見えない景色」を、傍観者でいる人たちにも伝えていってほしいです。

そうすれば、傍観者である人にも、その良さが伝わります。

「オレも、挑戦してみたい」と思う人だって現れるでしょう。

その瞬間に、傍観者から、新たな挑戦者に早変わりです。
 

■「今日の教訓」

 
やってみなければ、分からない。これは、挑戦した者にしか分からないのと同じこと。その経験をした者にしか見えない景色があり、挑戦したことがない者には一生見ることができないよ。
 
 
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