我慢しながらやるのは嫌だと考えたとき、その当たり前すぎる理由を疑うべきだ

人間関係
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kazu(@kazkazstyle)です。

我慢しながら続けていることはありますか。

続けているのには、理由があるのだと思います。

???

思います???

もしかすると、その思っている理由は間違っているかもしれませんよ。
 

■やりたくないのに、やり続けていることはありませんか

 
我慢しながら続けていることって何でしようか。

●仕事
●付き合い

他にもあるでしょう。でもその多くは、他人が関わっている人間関係が多いのではないでしょうか。

他人は、自分が思った通りには動いてはくれません。(当たり前ですね)

わかっているつもりでも、他人を動かそうとするから、我慢が生まれるわけです。

相手の顔を気にしたり、損か得かで行動したり、多かれ少なかれやっていることです。
 
 
 
 
でも、我慢しながらやるのは嫌だと思ったことはありませんか。

やりたくないのに、やり続けていることです。

そこには、やり続けなくてはならない理由があるはずです。

その理由を疑ってみてはどうでしょう。本当に、それが理由になっているのか。たとえば、いまの仕事を辞めたいと思っているけど、辞められないとしたら、その理由は…

●収入が無くなる
●家族が反対する

などの理由がでてくるでしょう。

たしかに、仕事を辞めれば、その分の収入は無くなりますし、家族が反対することもありますよね。

でも、我慢しながらやるのは嫌だと考えたとき、その当たり前すぎる理由を疑うべきだと思うのです。

正しいと思っている理由の壁をぶちこわすためには、もしかしたら違う選択肢もあるし、その理由は間違っているかもしれないからです。

別の道を選択することもできるわけです。

もし、そう決めたのなら、その決断を信じて前に進むときがきたのかもしれません。

あなたは、我慢しながらやるのではなく、自分が好きなことをしていますか。
 

■「今日の教訓」

 
我慢しながらやるのは嫌だと思うこともある。やりたくないのに、やり続けることが良いのか。それとも、悪いのか。別の道を選択することだってできるはずだ。そう決めたのなら、その決断を信じて前に進むときがきたのかもしれないよ。
 
 

 
 

 
 

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