我慢することがあったとき、そこには感謝できることが隠れている

感情・気持ち
この記事は約2分で読めます。

hand-226358_640
 
 
kazu(@kazkazstyle)です。

いきなり、今日から2日間は風呂には入れないことになった経験があります。

なんでやねん。思わず突っ込みをいれたくもなりました。

詳しく話を聞いてみると、ガス漏れの疑いがあるとのことでした。

いつもやっていることができなくなると、やはり困りますね。
 

■我慢することで、有り難さを感じることがある

 
当たり前のことを、当たり前のようにやっていると、その有り難みを忘れてしまいます。

お風呂に入ることも、そうでした。

風呂場から、ガス漏れの疑いがあって、その検査のために2日間も風呂に入ることができなくなってしまったのです。幸いなことに、真夏の時期ではなかったので、我慢することができました。

ここで気づいたことは、我慢することで、風呂に入れる有り難さを感じたことです。

有り難さを感じたことで、風呂に入れることに感謝していました。

当たり前のことだと思っていることって、なかなか感謝することができないんですよね。

何か我慢することがあったとき、そこには感謝できることが隠れているかもしれませんよ。

あなたは、我慢をしなければならないときに、何か気づいたことはありませんか。
 

■「今日の教訓」

 
いつもやっていることができなくなると、やっぱり困るよね。我慢するしかないけど、こんな時じゃないと有り難さがわからないってことかもね。
 
 
お問い合わせは、こちらからお願いします。

フォローしていただけると、最新記事を読むことができます!
 
follow us in feedly
 
 

 
 

 
 

タイトルとURLをコピーしました