勇気というものは、誰もが持っている

心のこと
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kazu(@kazkazstyle)です。

「勇気」は、どこにいるんだ。どうやって現れるんだ?

そういう、お話です。
 

■前に進もうとするときに、その勇気に気がつくことができる

 
子供のころに、勇気をだしてやったことは何でしょうか。

大きなことではなく、小さなことでもいいですよ。

私の場合は、子供のころ、母に買い物を頼まれて、近所のパン屋に行き、そこで売られている食パンを買うことでした。

人見知りだった私にとっては、知らない人に会い、お金を払って物を買うことは、とても勇気がいることだったのです。

知らない大人に会ったり、話をしたりするのが苦手だったんですね。

店のおばさんと母は知り合いで、店に行ったときは会話をよくしていました。

その時の私は、大人の会話を聞いているだけで、話をすることはありません。それよりも、欲しいお菓子のことが気になって、何とかして買ってもらえないか。

(チョコボール、ほ、欲しいな…。でも、無理だよな)

そんなことを考えていたんです。
 
 
 
 
あらためて、当時のことを振り返ったとき、「勇気」とはなんだろう。どこから現れるんだろう。

勇気は、目に見えるものではなく、自分が感じる勇気と、相手が感じる勇気があります。

今回は、自分の勇気の話ですが、母に食パンを買いに行くように言われたとき、その当時は気づきませんでしたが、隠れていた勇気がでていたんですね。

本当は、人見知りだし、買い物は苦手だと思っていたけど、母のお手伝いができる、役に立てるんだなと思っていたんだと。

ドキドキしながらも、近所のパン屋さんに向かい、無事に食パンを買うことができました。(お釣りのお金で、お菓子を1つ買っちゃいましたけど)

やはり、勇気というものは、前に進もうとするときに、その勇気に気がつくんだと思うのです。

でも、幼かった子供のころには気づくことはできませんでしたが、その代わりに母のお手伝いができる、役に立てるという使命感が記憶として残っているから、大人になってから思い出すことができたんですね。

だから、勇気というものは、誰もが持っているもので、使うことができるんです。

当然、大人の私たちにも、勇気を持っているし、いつでも使うことができるんです。

あなたにもある、その勇気。いつ使いますか。
 

■「今日の教訓」

 
「勇気」という言葉。困難で、大変なときでも、前進したときに、隠れていた勇気を見つけることができる。前に進むときに、その勇気に気がつくことができるから、勇気というものは、誰もが持っているもので、使うことができるんだよ。
 
 
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