他人ではなく、自分を基準としているか

思考・考察
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kazu(@kazkazstyle)です。

何もない状態だと、決めることは難しいですが、基準や一定のルールがあると、それに従い動くことができるようになりますよね。
 

自分の人生を歩いていると実感するために

 
日本で生まれた場合、生まれた瞬間から、基準や一定のルールに従って暮らすことになりますよね。

日本は、法治国家だから。

と言ってしまえば、それまでですが。

法律が整っているからこそ、秩序があり、安心や安全が保障されているのも事実なので、基準や一定のルールは必要だと思います。

でも、これは自分が生まれる前に、誰かが決めた基準や一定のルールです。

自分が決めた、基準や一定のルールがあって、それを説明できる人は、どれくらいでしょうか。

習慣の一部に隠れてしまって、基準や一定のルールがはっきりしない人もいると思います。

たとえば、タバコを吸う人は、吸う時間や、場所が決まっていませんか。

これも、本人は気づいてなくても、基準や一定のルールといえます。

習慣のなかにも、基準や一定のルールがあると考えてみると、禁煙をするときがあれば、参考になるはずです。
 
 
 
 
もうひとつは、他人ではなく、自分を基準にしているかです。

これはもう、習慣とは違い、基準の差が明確に現れますよね。

親や兄弟、上司と部下。

それぞれ、基準や一定のルールには違いがあります。

相手のことを尊重することも大事ですが、自分にとって、大事なこと、大切なことがありますよね。

それを無視して生きているとするならば、それは他人の人生を歩いていることになります。

もちろん、そんな生き方をしてもいいと思いますが、自分の人生を歩いていると実感するには、自分の基準や一定のルールをはっきりさせておくべきです。
 
 
 
 
基準や一定のルールとは、

・好きか、嫌いか
・やりたいことか、やりたくはないことか

など、自分で決めていく必要がありますが、こればかりは誰もやってはくれないことですから、自分自身で取り組むことになりますが、基準や一定のルールがあったほうが、決断も早くなりますし、行動しやすくなるのは間違いありません。

さらに大事なことは、自分のことですから、いつでも、ルール変更が可能なところです。

ルール変更が可能だからこそ、大胆な行動をしてもいいんですよ。
 

■「今日の教訓」

 
大事なのは、他人ではなく、自分を基準としていることだ。自分にとって、大事なこと、大切なことはあるはずなんだ。それを無視して生きることは、自分の人生を歩いてはいないということなんだよ。
 
 
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