kazu(@kazkazstyle)です。
いつも不幸だと思っている人は、不幸ばかりをみつけ、いつも幸せだと思っている人は、幸せを見つけることができる達人なのかもしれません。
■幸せと不幸は紙一重なのかもしれない
同じ1日。同じ出来事。
それでも、人それぞれ受け止め方が違います。
違うのが当たり前ですが、いつも不幸だ、嫌なことでいっぱいだなんて思いながら過ごしたくはないですよね。
幸せか。不幸か。
これは、思考癖というものがあるのかなと思っています。幸せだと思い込んでいる人は幸せだと感じ、不幸だと思い込んでいる人は不幸だと感じているのでしょう。
そもそも、幸せか?不幸か?などと、二者択一で迫るのもおかしいのですが。
でも世の中には、逆境で苦しくても、明るく笑顔で過ごしている人もいる一方で、何不自由なく暮らしているのに、いつも下を向いて顔の表情も曇りがちになり、不幸だと思っている人たちもいますよね。
逆境で苦しんでいる人たちは、現実は物凄く大変な状況なのに、明るく笑顔でいられるのは、自ら立ち上がって、主体的に行動されているからではないでしょうか。変えられないものは、変えることはできない。でも、そんな中でも、小さな幸せを感じることができるものをもっていると思うのです。
何不自由なく暮らしている人も同じです。ただし、幸せではなく、不幸だと感じるほうにベクトルが向いているから、そう感じてしまうのでしょう。
だから、幸せと不幸は紙一重なのかもしれません。
最初に、書きましたが、同じ1日、同じ出来事であっても、人それぞれ受け止め方が違います。
違うけれど、不幸よりも、幸せを感じて生きたいという気持ちは、みんな同じですよね。
しかし、こればかりは日ごろから自分の感性を磨いていく必要があります。
たとえば、今日1日のなかで、よかったこと、楽しかったことを10個書くことになったとき、スラスラと書くことができる人、1個も書けない人がいますが、なぜそうなるのかを考えてみればいいと思います。
スラスラと書ける人は、小さな出来事でも、よかった、楽しかったと思える人たちです。
1個も書けない人は、小さな出来事でも、よかった、楽しかったと受け入れることができない、認めることができない人たちです。この程度のことは、よかった、楽しかったとは言えないと思い込んでいることもありますね。
別に、10個書けなくてもいいじゃないか。こんなことをやっても役に立たないし。
このようなネガティブに考えてしまう人もいるでしょう。
まさに、不幸のどん底にまっしぐら状態ですね。
つまり、小さな出来事でも幸せだと感じる人と、そうではない人がいるわけです。
いつも不幸だと思っている人が、小さな幸せに気づくには、やっぱり練習が必要だと思うのです。
自分にとっての小さな幸せは、他人とは違うものですし、自分だけの小さな幸せを見つけるような生活をしてみることで、自分の感性を磨いていけるのではないでしょうか。
少しのよかったこと、ちょっと楽しかったことでも、その場で幸せを感じることができるなら、ずっと幸せですよね。
小さな幸せに気づければ、人生そのものが幸せになっていきますよ。
■「今日の教訓」
小さな幸せに気づくことができるなら、いつでも幸せを感じることができるのではと思う。では、すぐに小さな幸せに気づくかというと、そうではないとも思う。こればかりは、日ごろから自分の感性を磨いていく必要があるよね。
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