いったい、これは誰の責任なのか

自分
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kazu(@kazkazstyle)です。

子供の頃だったら、責任は親にありますが、大人になった今は、誰に責任があるのでしょうか。
 

■「責任」という言葉は、自分に対して使う言葉

 
「責任」という言葉。

世間で騒がれていることにも、「責任」という言葉がでてきますよね。

いったい、誰が責任を取るんだ。
説明責任を果たしていない。

など、何度も繰り返し聞いている言葉になってしまった気がします。

私が幼い頃(今から何十年も前のこと)は、そこまで「責任」という言葉は使っていなかったように記憶しています。

何か不祥事が起これば、誰かが責任を負うことになりますが、それは企業の社長や代表である人が、その責任を負うことになりますよね。それは当然のことで、これから先のこともあるので、責任を取る立場の人たちの言動を注意深く見守っていく必要があります。

しかし今は、何かあれば、すぐに「責任」という言葉を使って、当事者の人たちを責め立てる言葉にもなってしまったように思うのです。
 
 
 
 
しかも、第三者の立場の人が、当事者たちを被害者と加害者に分けて、

いったい、誰が責任を取るんだ。
説明責任を果たしていない。

と言って騒ぎ立てている姿を見ると、何だかなーと思うのです。

テレビのワイドショーを観ていればわかりますよね。

誰かを責め立てるために、「責任」という言葉を使っても、何も解決しませんし、少し離れたところから当事者たちを見て、面白おかしく話している人たちは、何も責任を果たしていないと思うし、果たそうともしていないんじゃないか。

そんなことを考えていました。
 
 
 
 
やはり、「責任」という言葉は、自分に対して使う言葉で、自分に対して使うことで、何か責任を取ることになったときも、やるべきこと、やりたいことが見えてくると思っています。

その一方で、責任なんか取りたくはないし、面倒だ。誰かのせいにしてしまうのも、私たち人間にはありますよね。

わ、私は知らない。やっていない。
すべて、部下がやったことだ。

なんて話もありますから。

いったい、これは誰の責任なのか。

という問いがあるとするなら、すべての責任は自分にあるということにしないと、「責任」という言葉を使って、相手を傷つけてしまうこともあるということです。

責任を認めたくはないという気持ちがあるのも事実だとしても、認めてしまったほうが、気持ちを切り替え、結果的に前に進むことができると思います。

「責任」という言葉は、自分に対して使ったほうが、冷静に自分を見つめることができますよ。

まずは、自分の責任、役割を果たしていくことですかね。
 

■「今日の教訓」

 
すべての責任は自分にある。そう考えることで、やるべきこと、やりたいことが見えてくると思う。自分の責任だなんて認めたくはないと思うかもしれない。けれど、認めてしまったほうが、気持ちを切り替え、前に進むことができるようになるよ。
 
 
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