夢や希望を叶えたいなら、当事者と傍観者のどちらがいいだろう

心のこと
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kazu(@kazkazstyle)です。

「見て見ぬ振りをする」と「人のふり見て我がふり直せ」という言葉のなかには、大事なことが隠れているような気がします。
 

■当事者と傍観者の視点で考えてみよう

 
2つの言葉を、広辞苑で調べてみました。

「見て見ぬ振りをする」の意味は、実際に見ても、見なかったように振る舞う。

「人のふり見て我がふり直せ」の意味は、他人の性行(日常の性質とおこない)の善悪を見て、自分の性行(日常の性質とおこない)を改めよ。

と書かれていました。

簡単にいえば、

実際に見ても、行動しない。
他人を見て、自分を見つめ直せ。

という意味になるのかなと思います。

それともう一つ、見たあとに、行動をするのか。それとも、行動しないのか。という意味も込められているのではないでしょうか。
 
 
 
 
行動するかどうかは、その時の状況や判断によって変わってきますが、ただ見ているだけでは、自分の状況はほとんど変わらないと思います。

「見て見ぬ振りをする」をする場合は、自分の状況は変わらなくても、自分が見ている場面は大きく変わる可能性がありますよね。子供が、危険な場所に入ろうとしたときを想像すればわかると思います。

子供に危ないから、そこは行ってはだめだと、声をかけるような行動をすれば、子供を守ることができますが、本当に、見て見ぬ振りをしてしまったら、子供は危険な場所に入ってしまいます。

「人のふり見て我がふり直せ」の場合は、危険な場所に入ろうとする子供を見て、自分を直せという、めちゃくちゃな解釈になりますが、これも自分から行動しなければ、子供は危険な場所に入ってしまいます。

つまり、ただ見ているだけでは、子供が危険な場所に入ってしまうところは共通していて、子供を助けるには、自分から行動しなければいけないところも同じです。
 
 
 
 
別の言い方で例えるなら、氷を見ているだけでは、水になってしまうだけというわけです。

氷のままの状態にしたいなら、そのための行動を起こさなければいけませんよね。冷凍庫やクーラーボックスに入れて、氷の状態を維持させる行動をする必要があります。

これは、当事者と傍観者の視点で考えるといいと思います。

当事者意識をもって、行動を起こすのか。それとも、傍観者として見ているのか。

どちらを選ぶかは自由ですし、どちらが正しいのか、間違っているのかは、その状況によっても違ってきますから、一概には言えません。

しかし、傍観者でいたら、夢や希望が叶うことはないでしょう。

先ほどの例でいうと、子供を助けることはできないし、氷が溶けて無くなってしまいますからね。

夢や希望を叶えたいなら、当事者意識をもって、行動を起こすことが最初の一歩になりますよ。
 

■「今日の教訓」

 
ただ見ているだけでは、状況はほとんど変わらない。氷を見ているだけでは、水になってしまうだけ。氷のままの状態にしたいなら、そのための行動を起こさなければいけない。見ているだけか、それとも行動するのか。選択しないといけないんだよ。
 
 
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