努力することが正しいとは限らない。なぜなら、間違った努力もあるから

思考・考察
この記事は約3分で読めます。


 
 
kazu(@kazkazstyle)です。

子供の頃、努力することの大切さを教わってきましたが、その努力することが、苦しいだけで終わってしまったことはありませんか。
 

■何のための努力なのか?

 
「努力」という言葉。

日本では良いことだとされていますが、外国人の立場からでは少し違うようです。

なぜ、そこまでして続けるんだ?
他にも、やるべき大切なことがあるだろう?

まあ、その通りなんですけど、日本人は誰かのためだったり、目標を達成するためだったり、一つの目標が定まると、みんなで力を合わせて進んでいく国民性があると思います。

逆に、単独での行動だったり、一人だけ目立つような行動は、どちらかといえば控えめですよね。

努力するという行為は、何かを「続ける」行為だともいえます。

何かを成し遂げるための努力は大事なことですが、ただ苦しいだけの努力は、どこかが間違っていると思うのです。
 
 
 
 
特に、我慢することが努力だと思っていると、とても苦しく、つらいものになるでしょう。

ただ苦しいだけの努力だったら、間違っているのではないかと疑う気持ちもあっていいはずです。

目標を達成するために必要な努力はするべきです。必要な努力は、その人を成長させるから。

しかし、間違った努力をしているかもしれないと思ったら、そこで立ち止まり、何のために努力をしているのかを考えるべきだと思うのです。

何のための努力なのか?

オリンピックでの金メダルや、全国大会優勝など。

はっきりとした目標があれば、必要な努力というものは絞り込むことができるし、現在の自分のレベルを鑑みて、諦めるという選択に迫られることもあるでしょう。

今まで続けてきたことをやめることも、努力だと思います。簡単に、諦めたり、やめることができないこともありますからね。

努力していることが、正しいのか。それとも、間違っているのか。

簡単に答えがでるものではありませんが、その努力が間違っていないか、誤った方向に進んではいないか、立ち止まって考えたり、今までやってきたことをふり返ったりする時間も必要です。

努力するという行為は、何かを「続ける」行為ですから、努力した結果が伴うような行動が大事になってきますよ。
 

■「今日の教訓」

 
努力することが正しいとは限らない。なぜなら、間違った努力もあるから。ただ苦しいだけの努力だったら、間違っていないか疑ってみるといい。努力した結果が伴うような行動が大事なんだ。
 
 
お問い合わせは、こちらからお願いします。

フォローしていただけると、最新記事を読むことができます!
 
follow us in feedly
 
 

 
 

 
 

こちらの記事も読んでみてはいかがですか?

成功するまで続ければ、必ず成功する。この気持ちは、大切にしていきたい

何かを継続したいなら、これじゃあダメだろうと思えるレベルでもいいからやってみること

習慣にしたいことがあるなら、続けられる仕組みを作ろう

タイトルとURLをコピーしました