自分という存在価値が生まれるのは、心を込めて丁寧にやったときなんだ

心のこと
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kazu(@kazkazstyle)です。

ダラダラとやっても、良い気分になれないのは、そこに理由があります。自分という存在価値が無いからです。
 

■心を込めて丁寧にやっていることは何ですか

 
毎日、同じことを繰り返していると飽きてくることはありませんか。

仕事もそうですし、家事も同じことを繰り返しています。

同じ時間に、同じことを繰り返しても、良い気分になれないのは、そこに自分という存在価値が無いからです。

存在価値が無いとは、そこに自分の意思や考えがなく、ただやるだけの状態になっていることです。

特に、慣れている作業では、自分の意思や考えがなくてもできてしまうことが原因です。

自分の意思や考えがなくてもできるから、良い部分があるんですが、それをダラダラしてしまったと思い込んでいるんです。
 
 
 
 
そもそも、存在価値は誰が決めているのかというと、自分自身で決める必要があります。それを放棄しているから良い気分にはなれません。

もし、自分の意思や考えがあったうえで、行動をしていたら、結果は同じだとしても、違った感情が生まれるはずです。

料理を作るにしても、誰に作るかによっても違ってくるでしょう。

自分一人で食べるなら、それほどこだわらずに好きな料理を作ることができますが、誰かに料理を作るときは、相手の好み、旬の食材を選び、栄養のことを考えて、料理をしませんか。

料理を作るという、結果は同じでも、自分という存在価値が生まれるのは、誰かに料理を作ったときなんです。

ダラダラとやっても、料理のように心を込めて丁寧にやっても、結果は同じ。でも、良い気分になれるのは、心を込めて丁寧にやったほうなんです。

もちろん、自分に対しても心を込めて丁寧にやるなら、良い気分になることができます。

それが、自分を大切にしていることなんですよ。
 

■「今日の教訓」

 
ダラダラとやっても、心を込めて丁寧にやっても、結果は同じかもしれない。でも、そこに自分という存在価値が生まれるのは、心を込めて丁寧にやったこと。それが、自分にしかできないものになっていくんだよ。
 
 
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